安政の江戸地震とは江戸近辺を震源地とする直下型地震(震度6弱か6強) ①時代背景 嘉永6年(1853年)ペリー来航 嘉永7 (1854年) 日米和親条約 安政2年(1855年) 安政江戸地震
②地震の状況 震源地 東京湾北部から江東区付近 天気は薄曇り 北北西の微風 微風であったため翌日のAM10時には鎮火
③被害状況 幕府による公式調査 死者4000人 負傷者2700人 これは、武家屋敷などが含まれていないため、全て含めると、 江戸市中の死者数7000人~1万人以上 うち新吉原の死者1000人 建物の被害は全体の約80%に及ぶ 特に被害が多かった場所 ・深川 (江東区) 1700年くらい江戸初期に埋立てられた場所 ・新吉原 (台東区) 震度5程度だったが、火災による被害が多く死者1000人 公に公表されていないが、 大名小路の被害も多かったと言われる
④地震によって亡くなった水戸藩士 藤田東湖 (水戸学藤田派の学者)。 吉田松陰らに代表される尊王攘夷派の思想的な基盤を築いたと言われる人
⑤地震後の復興 ・米の配給 お救い米 ・お救い小屋 幕府による支援や裕福な商人などが自ら災害復興に力をいれ、助け合いながら復興していった
⑥地震後になまず絵がはやった ⑦地震後の災難 台風雨、インフルエンザ、コレラによる被害。
★各種、プラットフォームでも配信中
☞ otokin.com/voice
★お便りはこちら
☞ bit.ly/2YkUaRB
★Instagram
☞ www.instagram.com/otonanok/
★Twitter
☞ twitter.com/@otonanok
★番組運営のため寄付を募集しています
☞ otokin.com/sponsorship