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語呂合わせ日本史〈ゴロテマ〉9(古代8(基本5)藤原氏他氏排斥)

【受験対策講義】です。国内外で予備校のない地域、予備校はあっても経済的理由その他でパスしている人向けです。デジカメ一発固定撮りの、素朴で下手くそな動画ですが、お役に立てればとてもうれしいです。ただしゴロ句は苦労の発明品につき、無断複製・転載は禁止です。
[ポイント]
1.奈良時代の覇権は、藤原不比等→長屋王→藤原四子→橘諸兄→藤原仲麻呂→道鏡→藤原百川の順で推移した。
2.藤原不比等は大宝律令および養老律令を完成。
3.不比等の娘宮子が聖武天皇を生み、藤原氏が外戚(がいせき)となる端緒(たんしょ)をつくる。
4.長屋王は天武天皇の孫で、左大臣として皇親政治をおこなう。
5.県犬養橘三千代(あがたいぬかいのたちばなのみちよ)は初め美奴王に嫁ぎ橘諸兄を生み、不比等の後妻として、光明子を生む。
6.藤原四子は長屋王を自殺に追い込み、直後妹光明子を聖武天皇の皇后にする(立后)。
7.橘諸兄は光明皇后の異父兄で、右大臣として政権を握る。
8.同政権で権勢をふるう僧玄昉(げんぼう)・吉備真備(きびのまきび)の排斥を求め藤原広嗣が反乱をおこした。
9.藤原仲麻呂は紫微中台(しびちゅうだい)の長官に就任し、橘奈良麻呂の変を封じ、独裁政権を確立。
10.藤原仲麻呂は淳仁天皇を擁立し、恵美押勝と改名。
11.藤原仲麻呂は光明皇太后の死後、孝謙上皇と道鏡の処遇をめぐって対立、反乱をおこして処刑された。
12.藤原百川は称徳天皇の死後、道鏡排斥の中心となる。
13.また吉備真備らの反対を抑えて光仁天皇を擁立し、式家台頭の基礎を築く。