【祭神】菅原道真
【合祀】誉田別命,大鷦鷯命,木花佐久夜毘売命,須佐之男命,香具土命
【由緒】当社は、久安三年(一一四七)辻喜右衛門豊武により勧請されたと伝える。社伝によれば、菅原道眞公九州太宰府へ配流のみぎり、豊武の祖舎人兵衛土師兼重は公に従い仕えた。ある時菅公自ら木像を作り兼重に賜わり公薨去の後、兼重は故郷に帰りこの像は長く子孫に伝えられた。この縁由により豊武は国分村に祠を建て菅公を祀ったと云う。また、兼武四代の孫辻縫介共尚の願いにより、采女城主後藤五郎兵衛藤原方綱は、嘉禄二年(一二二六)祀宇を造営したとも伝えている。江戸時代には、領主本多家の崇敬厚く、古例として五○年毎に斎行される大祭の節には、歴代の藩主は自ら参拝された。同時にまた近郷の人々からも深く信仰された。明治四〇年(一九〇七)河曲村大字国分・同木田に鎮座の各社を合祀して、現在に至っている。
~皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
【境内社】稲荷社、神明社、熊野神社、龍神社
【岩長姫碑】(磐長姫、石長比売)