【入試対策講座】です。今回は桓武天皇の治世にあった主な施策8件です。「39藤原氏他氏排斥(中心人物7人)」→「77桓武天皇の9件・79嵯峨天皇の10件」→「42藤原北家(ほっけ)の台頭と他氏排斥6事件」とつながること。まさに称徳天皇+道鏡政権のあとに迎えられた光仁天皇の子が桓武天皇であることです。
【ポイント】[軍事]
1.桓武天皇は、伊治些麻呂(これはりのあざまろ)の乱以来の陸奥の混乱を鎮めるため、789年に紀古佐美(きのこさみ)(征東大使)を派遣したが、蝦夷の族長阿弖流為(あてるい)の軍に大敗した。このため、797年、坂上田村麻呂(征夷大将軍)を派遣し阿弖流為軍を破り帰順させた。
2.田村麻呂は胆沢(いさわ)城を築き(802年)、鎮守府を多賀城から移し、翌年には北上川上流に志波(しわ)城を築いた。
[造作]
3.桓武天皇は、仏教勢力の影響が強い平城京を嫌い、長岡京に遷都(784年)した。
4.しかし造営長官の藤原種継暗殺事件と同事件で廃された早良(さわら)親王の怨霊による祟りと思われる不幸のため、長岡京建設を中止し、平安京へ遷都(894年)。
[律令政治の再建]
5.桓武天皇は、地方政治の乱れを正すために、勘解由使(国司の提出した解由状を審査する令外官)を設けた。
6.班田収授法の6年一班を12年一班に改正した。
7.年間60日を30日を限度に雑徭日数を半減した。
8.公出挙の利息を利率5割から3割に減らした。
9.弱体化した軍団を廃止(東北・九州は除く)し、郡司たちの子弟から徴募する健児制に転換(792年)した。
[徳政論争]
10.桓武天皇は、晩年の徳政論争に中止の断を下した。
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