歴史・古典文学作品のいちファンの視点で『太平記』を語ってみたいと思います。知人から、わかる人だけわかればいいというスタンスでない話も聞いてみたい、歴史や古典文学の視点から昨今のスピリチュアルブームに警鐘を鳴らすことはできるかという言葉をもらい、やってみようと思いました。
学術的な対象としての歴史と古典文学ということとは一線を画して、『太平記』が「物語」であるという観点から現代に生かせる「智恵」はないかという考えです。
昨今、「○○の時代」「△△をすれば幸せになれる」みたいなことをネット上でさかんに喧伝している人たちがいますが、古典文学を読んでいれば、そんなのは何百年も前に言われているよ……と思うことが多々あります。
今回から7回分は、『太平記』の語り手(筆者)が“ある点”において評価している人物たちを紹介したいと思います。最初からという人もいれば、ある出来事を経て、またあるいは時間をかけて一生の間にという人もいます。雄々しく戦って世を統べる力を手にしたり、物語に長いこと登場して華々しく活躍していたりという人物ではないかもしれませんが、動乱の世での真の“勝者”であるかもしれません。
※御簾の中にいたのが師賢卿であった件についてはこちらの動画をご覧ください。
• 【太平記ハイライト⑦】「和漢時異なりといへども、君臣体を合はせたる謀」
*動画の写真は太田駅前の新田義貞像です。
【テキスト】
・長谷川端校注・訳『太平記』1~4巻(新編日本古典文学全集/小学館)
・武田友宏編『太平記』(ビギナーズ・クラシックス日本の古典/角川ソフィア文庫)