県内は野焼きのシーズンを迎えている。炎や煙が草原に立ち上る光景は春の風物詩として親しまれているものの、近年は担い手不足といった課題も抱えると聞く。竹田市の久住高原で、記者(26)がボランティアの一員として野焼きを体験した。
慎重な動作が必要
10日午前9時。野焼きが予定されている竹田市久住町白丹の草原に足を踏み入れた。小高い丘に立って周囲を見回すと、一面にススキが広がっていた。久住山や遠くの阿蘇山も見える。
この日は地元の稲葉牧野組合のメンバーやボランティアら約100人が集まった。4班に分かれて、組合が管理する約200ヘクタールを焼く計画だ。
延焼を防ぐため、野焼きをする区域は事前に草刈りなどをした「防火帯」で囲まれている。記者は、防火帯の外に飛び出したすすなどに残る火種を消す役割を任された。
バーナーを手にした火付け役が点火すると、乾いたススキが焼ける「バチバチ」という音が響いた。後を追い、竹とかずらで作った熊手のような「火ぼて」という道具を使って、燃え広がりそうな部分を押さえて消火する。
「単独行動や自己判断は絶対に駄目だよ」と組合員の60代男性。慎重な動作が必要だ。
互いの労ねぎらう
草原から谷底へ。ひたすら道なき道を行く。まるで登山の難関コースのよう。
「こんなにきついとは思わなかった」。途中から、消火用の水約15リットルが入ったジェットシューターを背負って急勾配を上り下りしたこともあり、最終地点に到着した午後2時半ごろには、足と肩が筋肉痛でずしりと重い。周囲に「あと一踏ん張りや」と励まされ、気合を入れ直した。
合図とともに最後の着火。谷底から現れたオレンジ色の炎が勢いよく帯のように駆け上がってくる。風にあおられ、瞬く間に自分の背丈を超える高さに達した。迫力に足がすくむ。一瞬で黒く染まった焼け跡を見渡し、危険を伴う活動だということを肌で感じた。
午後4時前、約7時間にわたる作業が終わった。参加者は互いに労をねぎらい、笑顔の中に達成感をにじませた。長年ボランティアで参加している福岡県の無職平川武子さん(66)は「ありがとう、と言ってもらえると役に立てていると実感できる」と語った。
景観維持が主目的
同組合の野焼きは100年以上前から続く。かつては組合員の大半が牛を飼い、放牧も盛んだったため、害虫駆除などの効果がある野焼きは牧草地を維持するために欠かせない行事だった。
近年は人口減少や高齢化が進み、畜産業は衰退した。地域の事情に合わせるように野焼きの目的は変化している。組合の佐藤錦也牧野部長(61)は「今は美しい景観を守るという目的が大きい。先祖代々受け継いだ土地をきれいにしておきたいという使命感で続けている」と話す。
野焼きに参加できる組合員数も大幅に減り、30年前の半数の約50人になった。1994年から地区外のボランティアを募集するようになった。
中村憲史組合長(76)は「最大の課題は担い手不足で、ボランティアの助けは本当にありがたい。ただ、根本的な解決策はない。この先5年、10年と続けていけるだろうか…」と不安を口にした。
メモ 久住高原の野焼きは毎年2月中旬から始まり、4月上旬まで各地の牧野組合や事業者が実施する。事前の準備は前年の夏に始まる。野焼きをする周辺の草を刈る「輪地切り」をしてしばらく乾燥させる。9~10月にその部分を焼き払う「輪地焼き」をして防火帯を完成させる。